「ニヤーヤ学派小史」で述べたように、論理学・論証学・論争学としてニヤーヤ学派は重要な位置にあります。この根本聖典であるニヤーヤスートラは3〜4世紀に現在まで伝えられるかたちになったといわれており、古来のインドの思想段階を見る上でも重要です。
ここでは、ニヤーヤスートラの第5章(最終章だが、2〜4章より先に作られたとされる)を見ることで、ニヤーヤ学派の論争学を概観したいと思います。他の章と比べ、この第5章は主題が論争に絞られており、いかにして自派の主張を通し、他派の主張を斥けようとしたかがわかります。
まず、5章に入る前に5章を導くいくつかのスートラを紹介しましょう。一番重要なのが第1スートラです。
pramANa-prameya-saMzaya-prayojana-dRSTAnta-siddhAnta-avayava-tarka-nirNaya-vAda-jalpa-vitaNDA-hetvAbhAsa-cchala-jAti-nigrahasthAnAnAM tattvajAnAn niHzreyasa-adhigamaH //(1-1-1)
認識手段、認識対象、疑い、動機、実例、定説、支分、吟味、決定、議論、論争、論詰、誤った理由、詭弁、誤った論難、論争敗北の正しい知に基づいて、至福が達成される。
このようにニヤーヤ学派は16のカテゴリーをたて、その真実を知ることで解脱が得られるとしています。非常に合理的です。
さて、そのうち15番目が誤った論難、16番目が論争の敗北です。これは別のスートラで一般的に定義されています。
sAdharmya-vaidharmyAbhyAM pratyavasthAnaM jAtiH //(1-2-18)
誤った論難とは、類似性と非類似性に基づく反定立である。(注釈)提示された理由に対して誤った反論が誤った論難である.またその誤った反論は類似性と非類似性に基づく反定立、すなわち非難・否定である。「喩例との類似性に基づいて論証対象を論証する理由」というこれを喩例の非類似性によって反定立すること、「喩例との非類似性に基づいて論証対象を論証する理由」というこれを喩例の類似性によって反定立することである。反対のものであるから、[反論者に]生じているものであるからジャーティという。
vipratipattir apratipattiz ca nigrahasthAnam //(1-2-19)
論争敗北とは、誤解と無理解である。(注釈)誤ったあるいはよくない理解が誤解である。誤解しているものは敗北することになる。論争敗北とは全くのところ、敗北になることである。一方、無理解とはとりかかるべきものにとりかからないことである。他の者によって論証されたものを否定しなかったり、反論を返さなかったりする。また、[「誤解」と「無理解」が]複合語になっていないのでこれのみが論争敗北なのではない。
tad-vikalpAj jAti-nigrahasthAna-bahutvam //(1-2-20)
それら選択肢に基づいて、誤った論難と論争敗北は多様である。(注釈)類似性と非類似性に基づいてその反定立を、選択することで誤った論難は多様である。そしてその誤解と無理解を選択することで論争敗北は多用である。選択肢とは異なってあてはまることまたは様々にあてはまることである。そのうち、反論しないこと、無理解、思いつかないこと、言い逃れ、反論承諾、反問すべきものの看過とが無理解という論争敗北であり、一方残りが誤解である。
これに基づいて、第5章で個別に例が示されていきます。ご興味のある方はぜひご覧ください。なお、訳語はインド哲学をやっている人にしか一般的でないものもあります。ご勘弁。