[研究会]
曾つて三学会と称する研究会があったが、おそらく第二次大戦の混乱とともに消滅した。昭和34年(1959)主任教官となった中村元の発案で、研究室が主体となり、教官・卒業生・在学生を含めた研究例会を随時開催し、今日に及んでおり、よい切磋琢磨と交流の場となっている。
[研究室行事]
研究室の行事として、毎年春新入生の歓迎会、3月には卒業生の予餞会を行なって来ている。歓迎会には著名寺院などへの見学旅行を行ない、一泊するのを慣例としている。
[所属学会]
本研究室は、昭和3年(1928)に発足した「日本仏教学会」に加盟している。また昭和26年(1951)10月15日、当時の主任教官宮本正尊の発議によって、学界連合に加入する全国学界としての「日本印度学仏教学会」が創設され、本学山上会議所において創立総会が開催された。それ以来研究室は同学会の本部事務所として今日に至っており、これまでに第1回(於東大文学部、昭和27年10月)、第12回(於東大文学部、昭和36年7月)、第22回(於国立教育会館、昭和46年6月)学術大会の開催校を務めた。
[交換留学]
昭和51年(1976)以来、本研究室が中心となって進められて来た、東京大学とデリー大学との間の大学院学生交流に関する協定が、昭和55年5月1日に成立し、毎年相互に1名の大学院学生を交換することとなった。
[主たる卒業生]
明治40年(1907)に最初の卒業生を送り出して以来、卒業生の数は462名に達する。中にすでに物故された方もあるが、日本各地においてのみならず海外においても、主として研究・教育・宗教活動の分野で活躍中である。全ての卒業生の動向を記すことは出来ないので、文化勲章受章者、文化功労者、日本学士院(恩賜)賞受章者、日本学士院会員(東京学士院、帝国学士院会員を含む)の芳名を記すに留めたい(*印は物故者を示す)。
文化勲章受章者 | ||
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昭和28年 | *宇井 伯壽 | 明治42年卒 |
昭和52年 | 中村 元 | 昭和11年卒 |
文化功労者 | ||
昭和27年 | *宇井 伯壽 | 明治42年卒 |
東京学士院会員 | ||
明治18〜35年 | *原 坦山 | |
帝国学士院会員 | ||
大正7〜昭和4年 | *村上 専精 | |
日本学士院会員 | ||
昭和20〜38年 | *宇井 伯壽 | 明治42年卒 |
昭和44〜 | *干潟 龍祥 | 大正6年卒 |
昭和38 | *金倉 圓照 | 大正9年卒 |
日本学士院(恩賜)賞受賞者 | ||||
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第8回(恩) | 大正7年 | *木村 泰賢 | 明治42年卒 | 『印度六派哲学』 |
第21回(学) | 昭和6年 | *宇井 伯壽 | 明治42年卒 | 『印度哲学研究』6巻 |
第43回(学) | 昭和28年 | *金倉 圓照 | 大正9年卒 | 『印度中世精神史』 |
第45回(学) | 昭和30年 | *金倉 圓照 | 大正9年卒 | 『西蔵撰述仏典目録』(共同研究) |
第25回(恩) | 昭和10年 | *花山 信勝 | 大正10年卒 | 『聖徳太子御製 法華経義疏の研究』 |
第45回(学) | 昭和30年 | *山田 龍城 | 大正10年卒 | 『西蔵撰述仏典目録』(共同研究) |
第49回(学) | 昭和34年 | 高田 修 | 昭和6年卒 | 『居庸関』(共同研究) |
第50回(恩) | 昭和35年 | 高田 修 | 昭和6年卒 | 『醍醐寺五重塔の壁画』(共同研究) |
第46回(学) | 昭和31年 | *堀 一郎 | 昭和7年卒 | 『我が国民間信仰史の研究』 |
第47年(恩) | 昭和32年 | 中村 元 | 昭和11年卒 | 『初期ヴェーダーンタ哲学史』4巻 |
第70回(学) | 昭和55年 | 平川 彰 | 昭和16年卒 | 『阿毘達磨倶舎論索引』(共同研究) |
第61回(学) | 昭和46年 | 藤田 宏達 | 昭和25年卒 | 『原始浄土思想の研究』 |
第65回(恩) | 昭和50年 | 高崎 直道 | 昭和25年卒 | 『如来蔵思想の形成』 |
第56回(恩) | 昭和41年 | 前田 恵学 | 昭和26年卒 | 『原始仏教聖典の成立史的研究』 |
第66回(学) | 昭和51年 | 鎌田 茂雄 | 昭和30年卒 | 『台密教学の思想史的研究』 |
第70回(学) | 昭和55年 | 平井 俊榮 | 昭和36年卒 | 『阿毘達磨倶舎論索引』(共同研究) |
高橋 壮 | 昭和44年卒 | 同上 | ||
袴谷 憲昭 | 昭和44年卒 | 同上 |