沿革 

 東京大学における印度哲学の歴史は、前史(1879〜1917)と本史(1917〜現在)とに、本史はさらに旧制学部時代(1917〜1949)と新制大学時代(1949〜現在)とに分けることが出来る。

[前史(1879〜1917)]
 明治12年(1879)9月18日の学科課程改正において、「別ニ仏書講義ノ一課目ヲ置キ文学部各級生徒ヲシテ随意聴講セシム」とされ、同年11月25日原坦山(1819〜1892)が、法理文学部綜理加藤弘之の依頼をうけて、和漢文学科の講師として仏教典籍の講義を担当したのが、本学科の源流である。
 明治14年(1881)再び学科組織の改正があり、その際政治学及理財学科から独立した哲学科の中に「の科目が加えられた。翌年「哲学」は「西洋哲学」と改められ、新たに「印度及支那哲学」を含む「東洋哲学」の科目が増設された。これによって、印度哲学は随意科目から転じて、支那哲学と共に東洋哲学の一科目を編成するに至った。その中に、東洋哲学を井上哲次郎(1855〜1944)、支那哲学を中村正直(1832〜1891)、印度哲学を原坦山と、この年9月講師となった吉谷覺壽(1914没)との2人が各隔年学期に担当した。同21年原、翌年吉谷が、講師を辞し、23年代わって村上専精(1851〜1929)が、32年には前田慧雲(1853〜1930)が、講師を依嘱された。
 明治37年(1904)学科規程の改正によって、印度哲学は哲学科中の一専修学科となった。ついで39年9月、一足先に(明治34年)創設された梵語学講座の担当であった高楠順次郎(1866〜1945)が初めて印度哲学宗教史を開講、40年には最初の卒業生を出した。さらに41年には常盤大定(1870〜1945)、42年には堀謙徳(生没年不詳)が、講師を依嘱された。大正元年(1912)9月には木村泰賢(1881〜1930)が、高楠に代わって、講師として印度哲学宗教史を担当するに至り、印度哲学の陣容は一層充実したものとなった。

[本史―旧制学部時代(1917〜1949)]
 明治23年(1890)、総長加藤弘之が講座制に関して文部省に提出した答申の中に、印度哲学と梵語学とが合して一講座として含まれていたが、26年講座制は施行されたものの、その新講座の構想は実現されなかった。 
 しかし大正5年(1916)、安田善次郎氏が村上専精の勧奨をうけて大学に寄付(5万円)を行い、よく6年、ようやく印度哲学講座が創設され、村上が初代教授に任ぜられた。
 大正10年(1921)11月、釈宗演師の遺志によって印度哲学第二講座が寄付(3万余円)され、ついで同15年7月、初めて国費によって、印度哲学第三講座が増設されるに至って、印度哲学の研究と教育はいよいよ充実・整備された。同年9月学部長の提案によって、講座の順序と内容を整理し、前述の第一講座は第二講座に、第二講座は第三講座に、第三講座は第一講座とすることとなった。
 昭和7年(1932)4月、印度哲学科は学問上密接な梵文学科と合併して、印度哲学・梵語学・梵文学の3科目をもつ印度哲学梵文学科を編成した。しかし21年(1946)4月、学科が哲・史・文の3学科に改変された際、再び印度哲学は哲学科に、梵文学は文学科に帰属することになった。

[本史―新制大学時代(1949〜現在)]
 昭和24年(1949)5月新制大学が創設され、文学部が3学科制を旧制度の19学科制に改めたのを機に、印度哲学科は再び梵文学科と合併して印度哲学梵文学科を編成した。
 昭和29年(1954)年9月「国立大学の講座に関する省令」の制定に伴い、印度哲学第三講座を、やむを得ず、寄付者の後継者の了解を得て、宗教学宗教史第二講座に移籍した。その際、寄付者の遺志を尊重して「宗教史、とくに仏教の研究」という条件を付した。
 昭和38年(1963)課程編制の改革の際、印度哲学梵文学科は第一類(文化学)に所属することになり、印度哲学・印度文学専修課程と改称されて、今日に至っている。(※この後印度文学科は独立して第二類(語学文学)印度語印度文学科となった後、さらに改編されて現在は思想文化学科インド哲学仏教学専修課程、言語文化学科インド語インド文学専修課程と改められると共に、大学院重点化に伴って大学院については人文社会系研究科アジア文化研究専攻南アジア・東南アジア・仏教コースインド文学・インド哲学・仏教学専門分野となった。)
 昭和46年(1971)改組拡充の際、日本仏教史講座が増設された。終戦直後、風間幸右衛門氏が「日本仏教」の講座新設のために大学に高額の寄付(50万円)をされたが、インフレーション等のため実現不可能となり、結局日本仏教研究のために、その利息が毎年補助金として使われるだけになっていた。別の形であったとはいえ、風間氏の悲願が達成され、また、講座名を異にするとはいえ、失われたインド哲学第三講座の復活も果たされた訳で、印度哲学研究室にとっては大きな喜びである。