2002年7月4日〜8日
2002年の日本印度学仏教学会は大韓民国ソウル市の東国大学校にて開催された。「日本」印度学仏教学会なので、これまで国内で行われていたが、仏教系大学である東国大学校など、韓国からいくつかの大学が加盟しており、ワールドカップなどで日韓の友好が深まる中、「近くて近い国」韓国での開催が決定されたという経緯である。
開催日は土日だったが、折角の海外なので木曜の夜に渡航した。成田空港からインチョン空港まで2時間足らず。実家に帰省するのと時間的にほとんど変わらない。その近さにまず驚いた。
フライトが遅れたため、空港を着いたのは午後10時。ホテル予約カウンターに行ってみる。
「チョナンエーカゴシッポヨー、ポスイッスムニカー?(チョナンに行きたいです。バスありますか?)」
とカタコトのハングルで話し掛けてみるも、相手がハングルで答えてきたらよくわからない。と思ったら窓口の人は日本語で答えてきた。話を聞いてみると、チョナンどころかソウルにすら、もうバスはなくて、タクシーでしか行けないということだった。
カタコトのハングルとカタコトの日本語でラチがあかなくなっているところに、助っ人の女性が現れた。それ以降、英語で相談し、結局このカウンターにいた人たちのホテルに泊めてもらうことになった。カウンターはもう閉めたので、車で直接送ってもらった。
そのホテル(ワシントンホテル)はキンポ空港からは近いが、6ヶ月前に国際空港として開港したインチョン空港からはかなり遠い。その前に国際空港だったキンポ空港の客が減って、打撃を受けているとのこと。少し古めかしい感じがしたが、その分雰囲気がよくていいホテルだった。素泊まりで11万ウォン(11,000円)。なかなか高めだが、往復で送ってもらったことを考えるとリーズナブルと言えるだろう。
部屋に着いたのは12時過ぎていた。テレビも面白い。いかにも若者向け深夜番組を見て、笑いのツボやテロップに日本とそっくりだったり、スポーツニュースで韓国野球が大味な展開(ワイルドピッチとエラーで点数が入りまくる)だったり、いまだやっているワールドカップ特集の最後が韓国−トルコの3位決定戦でいきなり点数を入れられるシーンだったり、刺激的だった。
チョナン(天安)はソウルからさらに南に数十キロ行ったところにある中都市である。なぜここに行きたかったかというと、知り合いが独立記念館(トゥンニプキニョンカン)を勧めてくれたからである。ホテルからキンポ空港まで送ってもらって、バスでチョナンの高速バスターミナルへ。「ここですから」と降ろしてもらったバス停には、次々とバスが来てどれがどこに行くか全然わからない。
そこでまた係員のおじさんに「チョナンエー、カゴシッポヨー(チョナンへ行きたい)」と行って時刻表を指差してもらい、その時間にやってきたいくつかのバスから1つを案内してもらった。ハングルを読むのにいちいち五十音表を見ているのだから、これしか方法がない。
チョナン高速バスターミナルには漢字の表記もあって、記念館行きのバスには簡単に乗り換えられた。それにしても韓国のバス料金は非常に安い。キンポ空港からチョナン高速バスターミナルまで2時間も乗って7400ウォン(740円)。そこから記念館まではたったの800ウォン(80円)。バスに乗ったら「〜エー、カゴシッポヨー、オットッケイムニカ?(〜へ行きたい、いくらですか)」で後は金額を聞き取れれば、そのバス停で運転手さんが教えてくれるので問題はなかった。
独立記念館は想像を絶する大きさと展示だった。何万人も収容できると言う広場には韓国旗がずらりとはためき、展示場まで10分以上歩く。台風が近づいていたこともあって、雨にぬれながらとぼとぼ歩いた。
カップルが結構見かけられ、また入り口には女子中学生の団体が来ていたりして思っていたよりも堅苦しくないなあと思った矢先、入り口には「韓中共同抗日闘争」特別展。もうここから緊張感が走る。残虐の限りを尽くした日本人、そこから正義を貫いて命をかけて独立しようとした人々…ここで「ナヌン、イルボンサラム、イムニダ(私は日本人です)」というようなことを言ったら袋叩きにされそうな雰囲気に包まれた。
気をとりなおしてなぜか忍び足で館内へ。最初の展示場は新羅・百済時代の豪華な寺院建築の模型など、安心して見られるものばかりだった。展示場はいくつかの建物からなり、それぞれテーマに沿って展示されている。順路に従って見ていくと、建物から建物へと移っていけるようになっている。大掛かりな展示が多く、この記念館を製作した人々の意気込みが伝わってくるようである。
などと余裕を持ってみていられたのは最初のほんのわずか。ほどなくして日本による韓国への侵略がメインの展示になっていく。三一闘争における日本兵との一騎打ちの再現シーン、皇后の暗殺の等身大再現シーン、拷問の等身大再現シーンと、リアルで残酷な展示に息が詰まってくる。しかもそれらの人形は人が近づくと首をふったり、まばたきをしたりするのだ。明治大学刑事博物館で「世界の拷問展」を見たことがあるが、そこでは拷問器具だけが展示されていた。しかしここでは拷問されている韓国人自体に焦点が当てられている。(写真右:立ったまま動けなくなる拷問部屋。窓からはこの部屋に入れられた韓国人の人形が見えるようになっている)
見にきている人もまた気合が違う。「韓国は日本や西洋諸国の侵略をはねかえし、独立すべきだ」という演説をしている人形の前で、女子中学生たちが拍手をしている。日本で爆弾テロを起こした英雄たちの映像の前からずっと離れない老人。決して日本の侵略行為を肯定するつもりはないが、日本に攻められたがゆえに魂に火がつき、その火が今もなお燃えて愛国心に結びついているというのが伝わってきた。(写真左:日本兵に連行される韓国人の銅像)
ぶっ続けで2時間見て、出てくるころにはヘトヘトになっていた。日本では「韓国併合」という史実を学習しても、日本の行った残虐な行為については具体的に学ぶ機会がほとんどない。しかし韓国人はそれを忘れないでいる。学んだからすぐに何かができる、結論を出せるということではないが、戦争から隔たった世代だからこそ、自虐史観と言われようが学んでおくべきではないかと思う。
帰りはバスで駅まで。駅から特急セマウル号にのって1時間ほどでソウルに到着した。料金は4200ウォン(420円)で、鉄道も安い。地下鉄に至っては1区間600ウォン(60円)だ。韓国人留学生の知り合いに予約してもらっていたホテルに着いたのは夕方だった。
その日の夜はホテルで一緒になった中国人留学生と夕食。韓国料理屋はキムチなど「お通し」が無料かつおかわり自由で、それだけでもお腹いっぱいになるのに、その上注文した料理の盛りもいい。さんざん飲んで食べて、13,500ウォン(1,350円)。ただ日本の侵略行為の話になると、留学生の顔もちょっとこわばった。
朝の7時30分から受付の仕事があったので朝ごはんはカロリーメイト。カロリーバランスと書いてあるが同じ品だった。受付がない留学生の人たちはテールスープを食べてきたらしい。残念。お昼は街に繰り出して焼肉やら食べたので空腹に悩まされることはなかった。
午後からは特別講演会。日本からは前田恵学先生、韓国からは東国大学校総長の宋錫球先生で、「これからの仏教学のあり方」についての提言を行った。主として日韓が友好的に協力しながら、仏教学を発展させるにはということがテーマになった。予め両国語版の原稿が配られており、言葉の問題はない。
前田先生は「日本人は昔からの生活態度として、過去のことは水に流して仲良くしようと言ってきた」と述べ、反省と謝罪は必要だが、恨みを乗り越えていこうという呼びかけたのに対し、宋先生は「克服されなかった忘却は、いつか別の形で甦る」と述べ、誤った認識を正していくところから始めたいという強い意気込みを見せたところで、まだまだ溝は深いと感じた。
2人に共通していたのは、生きた仏教研究をしなければならないということだった。これは現代仏教研究をもっと重視するという意味と、研究者自身が仏教を実践的するという2つの意味がある。「仏教なくして仏教学なし」という戒めは、特に古い文献の研究を専門にしている学者にとってはなかなか手痛い指摘である。ただし仏教徒と仏教学者の差異をなくそうとすれば、かえって見えなくなってしまうこともあるだろう。仏教徒が仏教を学ぶのと、仏教学者が仏教を学ぶのとでは、アプローチからしてだいぶ異なる。そしてこの学会の大部分を構成していると思われるのは、仏教徒でない仏教学者であろう。だとすれば、生きた仏教研究を行うには、はじめから出直さなければならないかもしれない。とりあえず受戒から始めようか、それとも坐禅か。
宋先生の指摘で気がついたのは、日本仏教が宗派に偏りすぎているという点である。最近、曹洞宗の「梅花流詠讃歌歌詞改訂」では、他宗派の教義に似た用語(「浄土」など)を削除するということが行われたが、韓国仏教は禅も念仏も分け隔てなく行っている。長年日本人が目を向けてこなかった朝鮮仏教には、実際日本に影響を及ぼした点もあり、見習う点が多々あるにもかかわらず、日本人は目を向けようとしなかった。日本仏教の現状肯定をするつもりがないならば、また釈尊に少しでも近づきたいと思うならば、セクト主義の弊害を取り除き、通仏教のこころを見極めるためにも韓国仏教の学習は有益であろう。
講演終了後、やることがなくなったので早大のM君としゃべりながら散歩をした。ところがこの東国大学校、ソウルのいいところにあるのに山がちな地形なのである。散歩と言ってもひたすら階段を上って、下りて、足腰が鍛えられた。何気なく元気そうに散歩しているおじさんが超人に見えたのはこの時である。途中で引き返してきたが、峠を越えた先にはまだまだキャンパスが広がっている様子。「ここを毎日通学するんだとしたら、途中で帰りたくなるよなあ」などと話しながら息が切れた。
夜は懇親会で、東国大学校による腕によりをかけたもてなしを受けた。総会が長引き、写真撮影が長引き、それぞれの挨拶が長引いたため時間は短かったが、笛や歌の披露があったりして、たいへん和やかなムードだった。
学会の2日目は午前中に発表。若手研究者が多く、交流もできた。意外と私のホームページを見ているという方が多い。「滅多なことを書けないな、こりゃ」と反省した。
発表時間は15分程度で、質疑応答を含めて1人20分なのでとても短い。これだけの時間で言えることは自ずと小さくなってしまう。さらには若手研究者の場合、学会誌でもらえるページ数はたった3ページなので、故意にちまちまとした発表をしている例も見受けられる(私も例外ではない)。短い時間とページ数でいかに効果的にプレゼンするかは大事なことだが、これだけでは研究者として鍛えられないのではないかと思う。
学会が終わってから、以前東大に留学していた韓国人の僧侶ソさんのお寺へ。ご厚意で一泊お世話になった。お寺ということで、行く人は皆、古い木造建築を想像していたのだが、行ってみるとそこはビルの6階と7階。下の階には喫茶店が入っていたりする。話によると、新興住宅街で布教するために作られたのだそうだ。「お寺は近くにないとなかなか足を運べない」とのこと。すぐには真似できないが、こういうところも韓国の仏教は参考になる。
この日はお寺に着いてダウン。学会の疲れが出たのか、海外の疲れが出たのか、食べすぎか。先生を囲む夜の懇親会もちょっとだけ顔を出して、あとは薬と強壮剤を飲んで早めに眠った。この薬と強壮剤は韓国人の留学生に買ってきてもらったものだが、かなり効いた(成分不明)。
朝4時に起床し、4時30分からの朝課に出る。すでに信者さんが集まってきていた。ハングルのお経本なので「何ページ。」と言われても読めない。文末の「〜スムニダ、〜スムニダ」だけ一緒に唱えていた。
圧巻は「観音菩薩」と唱えながらの百八拝。五体投地でまた立ち上がるのを繰り返す。だんだん頭の中が真っ白になっていき、心なしか観音様が見えてきたような気がして、すっかり洗脳される。ありがたやありがたや…しかし足は筋肉痛だ。
朝食はお寿司で、食後に先生と一緒に空港まで送っていただいた。お土産を買っているうちにぎりぎりになって遅刻しそうになり、スチュワーデスさんと走る場面もあったが、無事に日本に帰ることができた。一緒に空港についた王さんとははぐれてしまったが、無事に着いただろうか?
全体として、日本と韓国のまだ対等になりきれていない関係を考え、アジアにおける日本ということを考える機会になった。アジアに広がった仏教についても実際に肌で感じて学ぶ機会となったが、インド哲学が仏教学のハシタメにならないようにしなければならないとも思ったところである。
Takuya Ono( hourei@dp.u-netsurf.ne.jp )