必要な科目
インド哲学を学ぶのに何が有用かを思いつく限り列挙してみました。というのも、インド哲学の常識を知らないではとんでもないトンマをしてしまうでしょうし、かといって範囲を狭めすぎると専門バカになってしまうからです。ただし、あくまで私見なのであしからず。
- サンスクリット語
当たり前ですが、サンスクリット語が読めないでは何もできません。ところが、世の中にはけっこう、サンスクリットが読めないのに中村元選集とかを読んで研究したことにしている輩がいるらしいのです。どうしたものでしょう。
それではサンスクリットのトレーニングには何がいいでしょう。初等文法習得にはペリーやランマン、ホンダなどがいいでしょうが、問題はそれ以降です。
やはりカーヴィヤです。カーリダーサ。これは少しでも怠けるとたちまち読めなくなってしまうのです。語彙も増えるし、論書や経典では滅多にお目にかかれない両数形などを相手にします。それに読み込むほどに美しい文章が胸を打ちます。
カーヴィヤはさまざまな書物を読むためのガソリン補充です。
- 文法学
私は以前辻文法書にしかずと思っていたのですが、サンスクリット語でサンスクリット文法を規定するパーニニを学ぶことは不可欠です。論書中の文法用語を見逃さなくなりますし、サンスクリット自体の読みが鋭くなります。この重要性を強調する人は多いのですが、実際に勉強している人は少ないのではないでしょうか。サーラやラグから始めて、シッダーンタカウムディーへ。興味があれば更にバルトリハリへ。カーラカとクリトは特に重要だと思います。
- 各学派の代表的書物
実は、バラモン教に属するどの学派も似たような問題を論じています。声常無常論争は代表的ですが、解脱、言葉と対象との関係、直接知覚と言語知との分岐点など、トピックが共通しているものが少なくありません。そこで、各学派の代表的なものは読んでおくべきということになります。
『ユクティ・ディーピカー』(激ムズイ!)、『ヨーガ・スートラ・ヴァーシャ』(やはり体で覚えるのか?)、『タルカ・サングラハ』(短かすぎ!)、『アルタ・サングラハ』(英語の解説とにらめっこ)、『ブラフマ・スートラ・バーシャ』(要信仰心)とかあります。でも、それぞれ一筋縄ではいきません。そこで優秀なアーチャーリヤに読んでもらうのが一番です。もちろん、『バガヴァット・ギーター』などは常識だし、ジャイナ教やディグナーガ、ダルマキールティなど仏教で関連するものも重要です。というのもこれらは相互に影響を与えながら発展していったからです。
- ラウキカニヤーヤ
「俗諺」のことで、日本流にいえば「犬が西向きゃ尾は東」というものです。でも、インド人には常識でも我々にはよく考えなければ分からないこともあります。でも「ヤター・サンキヤ・ニヤーヤ」など、これなしでは全くの誤解をしてしまうものもあり、侮れません。アプテの後ろに載っている付録の他、ジェイコブのマキシム集(ラウキカニヤーヤアンジャリー)が役に立ちます。
- ヒンディー語、チベット語、その他
注釈がヒンディーだったり、仏教が絶滅したインドで失われた書物がチベット訳で現存していたりするので、必要なこともあります。でも、あまりかまい過ぎると肝心のサンスクリットが読めなくなるという恐れもあります。
- 歴史書
哲学をする人は、個々の思想に没頭してしまい、年代論や社会・政治の動向などに興味を持たない人が多いようですが、歴史的側面をいい加減にしておくことはできません。ラージャタラ・アンギニーなど、歴史を解説する本はあります。
- 自分が関心をもったまるで関係ない分野の本
問題意識なしでは何を読んでも頭に引っかからないでしょうし、日本語の語彙がなくては訳に窮します。気分転換にもいいのではないでしょうか。
一学生が偉そうなことを書きましたが、実現されていない目標として、共感できる方がいれば幸いです。
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